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カテゴリ:制作意図 : Concept

Yes,I'm here

とても向上心の強い人が居たとして
その人が中心に位置するとしたならば
私は
中心がある事を知りながらも、近づく事を躊躇っていた小さな点か。

その人達の生き方に触れると、その周りの環境の速さから生まれる重力に
少しずつ…引かれてきた気がする。

大きな渦の中心に、もしかしたら近づく事も出来るのかもしれない。と想像すると
ほんの少し
地球が公転しているように、ゆっくりと。
私の周りの環境も
動いてきた気がするなあ。

それが私に合っているのか
私にとって良い事なのかどうかの判断も危うい段階ですが、
楽しそうだ。と思えるだけ
人付き合いが苦手な部分が、マシになってきたのかな。
なんて思う今日この頃。

どうもこんばんは。motomanです。

夏イケの 3次会 で、私よりも…ひと回り若い ( 本当に若手と言える年代の ) 学生さんに
現実とはどういった感じなのですか ? と訊かれ
うん。まあ…自動車整備工をしていた時の貯金がまだあるし
実家暮らしだから何とかアレだけれども。
一般的に見て、貧乏と言えます。
と答えました。

やっぱりそうですよねえ。と言われたので
うん。まあ…でも
この場のほとんどの人がそうだと思うけれど
お金は無いけれど、楽しそうに生きているよね。
と付け加えました。


同年代で陶芸をしている人達に、
最近どうでっか。と訊くと
厳しいですねえ。なんて話しになります。

かく言う私も、そう訊かれると
うん。相変わらず貧乏街道まっしぐらデス。と答えます。

でも
なんだかんだと楽しいですね。と言うと
うん。そやね。という流れになります。


それ以上も以下もないんでしょう。きっと。
色々な方々の好意で
活動の幅が徐々に拡がりを見せ始めてきました。
帰宅して PC を立ち上げ、メールを確認するのが日課になってきました。

え ? まじで ?
という内容のものもあり…いささか驚いている昨今ですが…
楽しそうな流れの渦に引かれているようで
緊張感もあり、嬉しくもあり
重圧を感じたりもしながら。

ああ。作家活動ってこういう事なのか。なんて思ってマス。

コロナのように
燃える心が燃える心を誘うような
そんな感じなのかもしれません。
そして
それはきっと美しいものなんだろうと思います。


それに因み、ブログのカテゴリィに
" 作品集 " と " 今後の予定 " を追加しました。
" 自己紹介 " も更新しました。

作品集に関しては FB のアルバムを使い、今までの作ってきた物を改めて撮影し直し
順次アップしていこうと思っています。
今はまだ花器しかありませんが、器やフタものなど…キワものもアップしていく所存でアリマス。

とりあえず
グラデーションペーパーを買わなくてはなあ。


そんな今日はこんな気分。
懐かしいですね



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by t_durden | 2011-08-13 03:12 | 制作意図 : Concept | Trackback | Comments(0)

カイシャク

おそらく…ここ…数年で…
一番デカい声を出した気がします。
元々、腹から声を出すタイプではないし
普段、ナマケモノのように温和に生活している私。
自分でも驚きました。

どうもこんばんは。motomanです。

文字で表記したらば
い”でえ”ッ
って感じだったと思います。


今日 SAV に着いて先ずやった事は、蜂退治でした。
蜂は夜になるとおとなしくなるのを知っていましたが、以前 夜中にトライしようと思った時には
女王の姿が見えなくなってしまったので…断念。
見えているうちに殲滅しておこうか。と、昼間に殺虫剤を手にしたのがアレでした。

夏イケに行っている間に、兵隊が増えていたようで
女王と兵隊 x2 を視認しました。
昨年も世話になった、ガンタイプの殺虫剤を射出し
アワワとなっているところへ追い討ちをかけました。

その後、ホウキの柄で巣を落とし…一件落着。
のはずだったんですけれどねえ…
気の向くまま
手の動くままに…花器を水挽きしました。


かれこれ 2時間 は経ったあたりだったと思います。
これらは 2kg の土で挽いたので、立った状態で筒上げを終え
さあ。成形に入ろうか。と思ったその時

背中に激痛が走りました。
発した言葉が
い”でえ”ッ
です。


視界の隅から、小さな黒い物体がすごいスピードで飛んできたかと思うと
目視する間もないまま、針を突き立てられたようです。
でっけえアブか、もしくは
ちっせぇちっせぇキツツキが突っ込んできたのか。と思い、見渡すと
蜂が頭上で輪を描いていました。
油断大敵というやつです。
自分が自分の場所を維持する為に、蜂一族を殺した事について考えていたところ…復讐に遭いました。

刺された位置が背中の微妙な位置過ぎたので、手当てが出来ず。
帰ったらおかんに針を抜いてもらおう。と
フリーカップを水挽きしました。

ちょっと形を変え…数パターン成形しました。
天見は湿気がものすごく、乾燥が遅くていつも困っているのですが
なんと。
初体験です。

昼に挽いた物が夜中に削れるという…ちょっと感動しました。


しかし
彼はどういう想いで針を突き立てたんでしょう。
目視できていた蜂は、女王を含めて 3匹 。
その全てを殺したのですが、昼間だっただけに…どうやら留守にしていた最後の兵隊が居たようです。
ウィリアム ・ ウォレスを思い出しました。

戻ってきたものの巣は無く
女王は死んでいます。
近くで土をコネコネしているコイツが犯人に違いない !
といった案配だったんでしょうか。

それでも
刺せば自分も死に至るわけで。

一矢報わんとして刺した。と想像すればゾッとするし
自分だけ生きていても仕方が無い。と、自害する為に刺したと想像すると…哀しさを覚えます。


彼の動機はどちらだったのでしょう…
刺された時の感覚で言えば、前者だったように思います。
おそらくそんな思念が私に伝播したのでしょう。

普段、不動明王のように生活している私が。
激しい殺意を覚え…再び殺虫剤を手にし、射出しました。
床に落ちた蜂を、憎悪の目で見ていましたが
苦しむ彼の姿に、少し後悔し
怒りに囚われた自分を恥じ
切腹した侍の生き様を尊重するのと同様に
頭を潰して介錯しました。


彼は兵隊としての一分に殉じたのでしょう。
この一針は…そういう事だったのでしょう。


私は私の場所を守る為、彼らを殺し
彼は彼の役割を果たしました。
それが攻撃であったのか防衛であったのかは…観測点の違いだけであり
どちらが高尚であったかと言えば…彼に軍配が上がる気がしなくもないです。

だけれども
私は…私が生きているという証を残す為に
作陶する為に、作業部屋の中に作られた巣を見過ごすわけにはいかなかったわけで。
そう解釈しています。


人間に生きている内に見出せるものなんて
その程度のプライドしかないのだから…
きっと彼も解ってくれるでしょう。


蜂退治は夜にやりましょう…

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by t_durden | 2011-08-11 03:33 | 制作意図 : Concept | Trackback | Comments(2)

意図

最近、人の世の流れに逆らうかのように
昼過ぎに起床。
涼しくなった夕方あたりから夜中まで作陶。
夜中に帰宅…就寝。
といった生活ペースに変えてみました。

理由は
昼間は暑いからです…
あと、夜中に帰ると道が空いているので…移動時間が 15分 ほど短縮できます。
ブレーキを踏む理由は信号くらいなので、燃費良く走れて地球にも優しいという
そういった算段であります。

夜中は電気代も安いですし…なかなか良いのかもしれません。

夏本番になると、家に居るとエアコンをつけるか否か…悩みながら汗をかきますが
天見は涼しいので…扇風機すら要りません。
さらに地球に優しい男になれそうです。

どうもこんばんは。motomanです。

カメラにメモリィカードを挿すのを忘れていたので…制作状況はまた明日にでも書いてみようと思います。
然るに
今日は、日々の雑感などを少し。


自分が作った物がどう見られているのかは…大事な事で
いや、それに尽きるのかもしれませんが
主観だけでは、良いのか悪いのか。
判断に困る事が多々あります。

自分のカラーみたいなものを増やせないモンか。と
今作っている物で色々と試してみようと思っているのですが
それが人の目にどう映るのかは…批評される場に出なければ始まりません。


人の目に触れ、これは好評を得るだろう。と、半ば確信できたものは
今まで… 2タイプ くらいしか作れていません。
意外に好評だったなァ。という物達も当然あるわけで
その違いは一体どういったところに表れるのか。

それを解明できれば…もっとかっちょいいモンを作れるかもしれません。

というわけで、ちょっとコスプレに例えて考えてみました。
何でコスプレやし。
イケてます。
残念です。
イケてます。
残念です。
イケ過ぎています。

結局 顔面かよ。
って思いました。


器で言うところの " 顔面 " って何処~ ??
と、まあ冗談は置いておいて、ですよ。

何かを表現するにあたり、最低限必要なのは…その " 質 " だと思っていましたが
一箇所でも仕事の粗さの伺えるところがあれば、一気に残念ゾーンに篩い分けられてしまいますが
仕事が粗いなァ。と思うものでも、全体の雰囲気は光るモノを感じる事もあります。


" 質 " で言えば
エヴァンゲリオンの主人公の格好をしている人のコスチュームなんて
( 原作ほとんど知らないのでアレですが )
結構 高めだと思います ( 左右の女性…特に左の方は、首を傾げざるを得ませんが ) 。

3枚目 の、エルフの格好をしている方は
耳がミミガーを彷彿とさせるし、コスチュームも結構 粗い作りだなあ。と思います ( 作った事ないんでアレですが ) 。
でもイケてます。
だってかわゆいから。


要は…どこをどこから観るのか。なんですよね。
イケてるのと残念なのとに分けましたが、それは私が
顔面に着眼しているからであって
コスチュームに着眼すると、また入れ替わる事でしょう。

コスプレの本質は一体何であるか !
という事なんでしょう。

コスチュームを纏った全体の雰囲気
コスチュームのクオリティ
コスプレをする事で、誰を楽しませるのか…
などなど、色々な解釈が考えられます。

自分が楽しむ為なのであれば
ベジータの笑顔は最高ですね。
クソ楽しんでいる感がよく伝わってきます。
が。
それを人に見せるのか !
自分の部屋で勝手にやれよ !
という解釈も出来なくはないわけで。


他人と享受できる " 何か " が無ければ…オナニーに終わってしまいます。
でも、ベジータの笑顔を見て
おお。楽しんでいるねえ。と、こっちも楽しい気持ちになれるのは
それを公開し、私の目に触れたわけであって…
一概にオナニーとも言い切れないのかもしれません。

" コスプレ " というくくりではなく
" 笑顔大賞 " あるいは " THE オナニー写真 " というくくりならば
ベジータがさらに笑う結果となっていたと思います。


要は…意図なんでしょうねえ。
何を伝えたいか
何を表現したいか
それが受け手に伝わらなければ…辛辣な評価を得る羽目になってしまうようです。

私もそうならぬよう…意図を明確に受け取ってもらえるような
そんな物を作っていきたいですネ。


コスプレに対してさして関心の無い私が、コスプレを媒体に…色々と語ってみました。
何でや。


ただ
ネコの耳を着けていようがいまいが…クソかわゆいですね。と
声を大にして言いたい。

もし見てたらメールkづあさい

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by t_durden | 2011-06-23 02:02 | 制作意図 : Concept | Trackback | Comments(4)

模糊として曖昧

鳥さんの部屋で、村上 春樹の " 1Q84 " が目に入り
借りて帰る事にしました。

私が村上 春樹を読むようになったのは…随分と昔の話で
初めて手にしたのは " ねじまき鳥クロニクル " でした。

有名な作家だとは露知らず… CD で言うところのジャケ買い。ってやつです。
内容は…すっかり忘れてしまいました。
どんな話だったのか…主人公の名前すら…覚えていません。

同じように
今でも自室の本棚に並んでいる " ノルウェイの森 " も
ほとんど覚えていません。
もう 1度 読んでみようと思います。


人生は限りあるものだけれど、同じ本を読もうと…手にしてしまうのは
もったいないお化けが出る ?
懐古主義 ?

まァ…良いじゃないですか。
ねえ ?

どうもこんばんは。motomanです。

模糊として曖昧なもの。
人と比べて、どうか。は…わかりませんが。
私の中には沢山ある気がします。

物事を深く考える性質でもないし
特に何かに執着するわけでもなし。

貫き通す確固たる姿勢もなければ
頑強な地盤の上に立つでもなし。

容易く物事を受け入れない猜疑心はあれど
揺らぐ事のない信条があるわけでなし。


それでも、ハッキリと見据えておかなければならない事があります。
いわゆる… " ヴィジョン " というやつです。


私の尊敬する人が高校を出て、自分の夢を実現させる為
着実に必要な技術を身に付け、自分の身を置く場を見定め
そして…描いていた夢を叶えました。

彼女がよく言っていた事。
自分の思い描く夢を叶える為に大事な事は、人にその夢を話す事。
そうすれば…繋がる。


私が今の共同作業場で陶芸を続けていられるのも、それを実践したからです。
人に話し、繋がり…機会を得ました。


しかし、私が思うに…大事な事は他にもあり
常に描き続けなければならない。という事。
毎日、どこかモヤモヤしているものが拭えないのは
きっと…描けていないから。


それが依然、曖昧模糊だから…どうもふわふわとしていて居心地が悪いように感じます。
このまま…その、悪魔的な浮遊感に身を委ねて…時が経つのをただ待っていれば
肉体は朽ちゆくのでしょう。
そして、生きていたという価値も…その存在すらも
キレイさっぱり霧散してしまうのでしょう。


さて、では。
忘れていた大事な事。
夢を描かなくてはならないわけですが、それが曖昧だから救いがありません。

思えば…作業場を借り、陶芸を続けられる設備を整えてから
具体的な " 次のヴィジョン " が無いまま、浮き足立っているような気がします。


問題を解決するには…
How もしくは Why を解明するのが効率的です。

何故、描けないのか。を考えてみると
自分というものが…どういったものなのかがわからないから。
芯に何があり、何をアウト ・ プットすべきなのかが精確に把握できていないのです。


では
どうやって描こうか。と考えてみると
手近な何かに安直に頼りたくもないし
深く沈んでみても…何も見えはしません。
そして
自分というものがわかっていない証拠だ。と、同じ問題に帰結します。


メソッドの問題でない。と仮定するならば
既に見えているのかもしれない。という…希望的観測が浮かび上がります。
( この発想自体が安直で…いやはや救いがありません )
そう仮定するにあたり…新たな命題が生まれます。

では、それは一体何であるか

知らんがな ! と一言叫び、いそいそと愛する布団へ飛び込みたくなるわけですが
命題から逃げる事も出来ない性質なもので、困ったモンであります。


漠然と考えている事へ、どう近づいていくのか
それを詳細に描けない限り…この命題の解答は得られません。


別のアプローチとして
曖昧な自分を形にして表現すれば、一切の摩擦が無く…素直で良い。と考えられなくもないですが
それが出来たら…天才の領域に入れるんじゃあないか。と、思います。


村上 春樹の小説の内容を
私がほとんど覚えていないのは
彼の作風が、そういった類のものであるから。だと思っています。

読んでいる時は
その空間を舞う、光を受けてようやく認識できる…埃ですら詳細に想像できるのに
読み終え、本を閉じた時の言葉に出来ない虚無感。
言わば… " 捉えどころのない本質 " みたいな部分が
彼の持ち味なのだろう。と思います。


で、まあ
だから私の抱える命題がどうなるわけでもないので
1Q84 を読みながら、愛する布団に包まれようと思いマス

(╯⊙ ⊱ ⊙╰ ) プヒー

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by t_durden | 2011-06-17 22:03 | 制作意図 : Concept | Trackback | Comments(0)

祈り

気の充実というものは
その人の心の持ちようであるから
" 我 " という殻の内の問題である。と思っていたが
どうもその限りでもないらしい。


今日、ギャラリーに在廊していると
日本料理の厨房着を纏った方がいらっしゃった。

長靴ではなくスニーカーを履いてらしたし、ほのかに魚の香りがしたので
おお。この方は料理人に違いない。
プロの目に…私の器はどう映るだろうか…と
密かな期待感を抱いた。


随分と真剣に私の器を眺めてらしたので…少し緊張しながら感想を伺うと…
どうやら気に入っていただけたようで。

私が表現したい。と思っている事を
詳細にあそこまで…共感して汲み取って下さる方に直接、
率直な意見を伺えたのは初めての事である。

おそらく…美的感覚
審美感が極めて近い人だったのであろう。


朽ちゆく木像の…かせた印象。
武骨に、ただそこに在り続ける不動の物体。
不器用ながらも…凛とする姿形。

そんな…私自身が言葉に還元しきれない感覚が
ほぼ過不足なく、人に伝わるという事は
私の世界が享受し得るものである。という事の証明であり
その喜びは、私の背中を…そっと押す…
原動力そのものになる。


形の持つ緊張感
釉調とその煌き
総じて…バランス感覚が鋭い。と
恥ずかしくなるくらい…もったいないくらい…高い評価をして下さった。


その方と別れてしばらくした後
紙袋を片手に戻っていらっしゃり
これをもらってもらいたい。と
炭化焼成した酒器を贈って下さった。

陶磁器を作っている者が、料理人から陶器をいただくというのは
不思議な画に見えなくもないが……
お言葉に甘え、頂戴する事にした。


君の作る物には情熱と祈りがある。と
固い握手を交わし、別れた。


祈り…
漠然と感じていた事。
赦しを乞う祈りとは、また違った質の祈り。
帰宅してメールをチェックすると、その方が 1枚 の写真を送って下さった。

春を
目覚めを待つ…
もう少しで…日の目を見る時が来るぞ。という
そういった激励の意味として
捉えようと思う

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by t_durden | 2011-06-01 01:43 | 制作意図 : Concept | Trackback | Comments(0)

蒲公英

女性が放つ
" 汗ばむわぁ " という言葉に
敏感に反応してしまうのは、私だけではないはずです。

どうもこんばんは。motomanです。

ペプシがその真価を発揮する季節に成りつつあります。
特に、屋外で
人ごみを眺めながら飲む、キンと冷えたペプシが美味い気がします。

真昼間からビールを片手に歩く人の事が、今まで理解できませんでしたが
そう考えてみると…わからなくもないかもしれません。
人々を肴にしているんでしょうか。
先日、作業小屋の傍らに咲いていた
蒲公英の綿毛です。

なかなか面白い形をしていました。

左の綿毛は、左半球が吹き飛んでしまっています。
では右は ?

実は右も、上半分が吹き飛んでしまっていました。
よく観察すると、その密度の違いが見てとれます。


見る方向によって印象がまるで違う形の、典型的なものと言えるかもしれません。
アウトラインは点によって成り立ち
それらの点を、無意識下で線として繋ぐ事で
綿毛は球体である。と認識します。
足りない部分を、想像で勝手に補ってしまうわけです。

それが裏切られると、面白いと感じる事がある。という事です。
私がこの鎬を考えたのは、
粉引きに取り組む事にした時、その代表的な装飾方法である
従来の鎬を、面白く変化させられないか。と考えた事

展覧会の時、年寄りでも ( 指先に力が入らない人でも ) 指で挟み込む力だけで
楽に扱える湯呑みは無いか ? と問われた事

いつもは電動ろくろの上で削り作業をするので、縦のラインを彫る事が少ない事に気付き
縦のラインを用いた彫りをやってみたかった事

と、まあ細かいところを含めると…数え切れませんが
ようやっと行き着いたのが、この鎬。というわけです。


私の中では、この鎬と蒲公英の綿毛の形が同じ構成をしている。
つまりは
鎬を止めたところを点と認識すると、それらを横方向に繋げれば…
横方向に流れる、新たなラインが出現するんじゃあないか。という予測を
形にしたらこうなったわけで
この湯呑みと蒲公英は、同じ構成を成している。と言えます。


実際、とても持ち易いし
縦に流れるライン ・ 横に流れる点を繋いだラインが、
想像通りに過不足なく表現出来た。と感じているので
とても気に入っています。

最初に、発想するきっかけになったのは…いわば
用から見た、持ち易い形で
それに付随する形で生まれたのが、この装飾性と面白さです。

彫りや削りをテーマに制作する、私の代表作となってくれるでしょうか… ?

用と美を兼ね備えたものをデザインと呼ぶならば
こんな私がよくこんな鎬をデザインできたなァ。と、自画自賛しております ^^;
そんな事はさて置き…

この削り方を形にした際、最後に私の背中を押したのは
月でした。

天見は
天しか見るものがない。というのが、その名の由来ですが
天に浮かぶ星や月はとても奇麗で
それだけで充分だと思えます。

日々 その表情を変化させ続けていく月を見て
ああ、そうか。
光の当たる方向が違うだけで、その姿形を大きく左右する
縦の一本のラインが変わるのか。
それだけでこれだけ差が出て、面白いと感じるのだろう。
と、この鎬の原点になった事は確かです。
エミール ・ ガレは、自然界に美の全ての始まりがある。と
植物をモチーフにした作品を多く遺しましたが
なるほど、確かにそうかもしれません。

そういった視点を持ち続ける事が、価値のある事だ。と言えそうです。

この子はまだまだ甘いです。
惹かれるモノは、真摯に ( 紳士に ? ) しっかりと向き合いマショウ。


良いなァ

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by t_durden | 2011-04-30 23:51 | 制作意図 : Concept | Trackback | Comments(0)

アナログ <-> デジタル

昨晩、 " 汐留ギャラリーハウス " という番組に
造形作家 増田 敏也 さんが出演されました。
彼は大阪芸術大学 金属工芸コース 出身で、今は土を素材に表現しています。

同大学出身なので…私の先輩にあたります。
個展やグループ展で作品を観て、お話を伺って感じていた事が
少しだけ言葉で還元できそうな気がするので、ちょっと書いてみようと思います。

どうもこんばんは。motomanです。

番組を観た人のツイートによると
「 あの編集の仕方なら、土を使って陶芸という技法を用いて
成形する意味が薄い 」
といったような印象があったようです。
つまりは
コンセプトを語っている部分がすっぽりとカットされていた。というわけです。


なるほど。
私は敏也さん本人と会い、話を聞いていたので
特に違和感はなかったのですが、初見の人からすると…そうかもしれません。

敏也さんのコンセプトは

" 質感と実在感の無い低解像度な CG などのデジタルイメージと
質感と実在感のある陶芸のアナログイメージという
相反するイメージをあわせることで生まれるイメージのギャップを表現している "

( 敏也さんの作品は…公式ホームページの こちら からどうぞ )


今まで、何度か個展やグループ展に足を運び
実際の作品を観て来ましたが、その時はどうも…
何かモヤモヤとしたモノが残り、何と形容して良いのかがわかりませんでしたが
ひょんな事を思い出してみると、それらが合致した気がするのです。
天野 喜孝の描く、今や世界的に有名なゲームとなった " ファナルファンタジー " のイメージ。
これを 8 bit CPU のファミコンで表現するとなると…
こうなるわけで。

線 1本 とってみても
ドットで区切られているわけだから、円はおろか
奇麗な斜線すら引く事が出来ません。

天野 喜孝の、力強く ・ 繊細なタッチで描かれるイメージを
当時のハードでは表現する事が出来なかったわけです。


子供心にこの、ファイナルファンタジーのパッケージに描かれた絵と
ゲーム内グラフィックのあまりの違いに…モヤモヤした記憶があります。

ハードに依存する限界と
あえて低解像度を用いてボヤけさせる ( モザイクですね ) 事とでは
結果的に似通ったものになろうと、主旨が違うので
敏也さんのコンセプトとはかけ離れてはいますが、
こういった事を思い出したわけです。


敏也さんのはハードの限界ではなく
" あえて低解像度化する事 " で、このギャップを表現されているわけですから
その面白さを観に、ギャラリーへ足を運ぶのが楽しくなります。


以前、ご本人に
「 これを…例えばプラだとか樹脂だとか…そういった別の素材で成形しても良いのでは? 」
といった事を質問した記憶があります。
つまりは、私にとって
陶芸 = アナログ
という図式が無かったから出てきた疑問なわけです。

その際、
「 成形のし易い、アナログ的な素材を使いたかった 」
と言われた事を思い出します。
敏也さんにとっては
陶芸 = アナログ
が成り立つわけです。

金属工芸出身と、陶芸しかしていない人間では
素材に対する印象も違う。と
なるほど。そういう捉え方もあるんだなァ。と、考えさせられました。
以前、どこでだったか…
デジタル化の進む昨今、絵を描く仕事をパソコンに奪われてしまった。と言う方に出会いましたが
うん…いや、それはどうだろう…と疑問を持った事があります。

簡単に複製 ・ 転送の利くデジタルだけれども
人にしか作り出せないラインや色彩があると思います。
それらを詳細に分析すれば、結局はデジタル化できるのかもしれませんが
色々な作家が作る茶碗ひとつ取っても
色々なラインや色彩があるのは
ハード的な限界ではありません。

デジタル化する事はおろか
言葉に還元する事すらままならない… " 美意識 " や " 審美感 " と言われる
ファジィな、人の持つ感覚が具現化した物であるから。
表現したいものが必ずしも、精確に人の心に響くわけではありません。
デジタルの対義語はアナログかもしれませんが
私の中で、デジタルの対義語は…ファジィかもしれません。

そもそも日本で使われている、デジタルとアナログという単語については…議論を呼びそうですが
正確な対義語はアナクロだと思います。
敏也さんの最初のシリーズが、アナクロと名付けられているのも
きっとそのあたりに起因するものであると思われます。
分析すればデジタル化できる。という事を
分析すれば機械でオートメーション化して生産する事が出来る。と解釈するならば
天野 喜孝が描く線を機械で描く事は…
分析すれば可能だとは思います。
ですが、オリジナルを描く事はできません。

分析する対象が無ければ…生産する事が出来ない。
それが、私が " デジタル " という言葉に対して持つ考えです。


多くの人が、ジャンルは違えど " ものづくり " をしているのは
また、それら作品を観るのが好きな人が沢山居るのは
あるひとつの証明である。と私は思います。

" こだわり " という単語に終始するかもしれませんねえ。
個が持つこだわりを、色々な素材を使って表現したら
こういった物になりました。
頭の中で創造した世界観が、こう具現化しました。
或いは…させました。となるんだと思います。
おそらく、陶芸をされている方は 1度 は言われた事があると思いますが
「 良い値段するねえ。茶碗なんて 100均 で買えるしねえ 」
と、おっしゃられる方が居ます。
その際、私はこう言います。

「 ええ。まあそうですね。
僕等が作っている物は、同じ土俵の上にありませんから
特に意識はしていません。
100円 の茶碗で良いと思われる方は、そうすれば良いし
こだわりを持った物が欲しい方は、少々 値が張ろうと
良い物を選ばれるんでしょうね 」

こう言うと、
じゃあ何かい? 100均 の物で良いと思っている私は無価値な人間なのかい?と
ムッとされる方もいらっしゃいますが、まあ私個人の考えなので
もちろん押し付けるわけでもありません。

ただ、気に入った物を買う ・ 使う事の本当の価値は
満足感にあります。
同じ料理を盛っても、それらを引き立てる機能が
私達、作家物にはあります。
それはひとつのデザインと言えるでしょう。


茶碗ひとつで世界を変える事が出来るか。
私は可能だと思っています。


そういった意味で、ものづくりに於いて重要なコンセプトが
バッサリとカットされ…放送されなかったのは
残念ですねえ…

まあ ご本人は
こつこつと、実際に観てもらった人にこの感覚を体感していってもらおう。と
前向きなようですので?
また会える機会を楽しみにしております。

私だったら…凹みに凹むだろうな…と思いました

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by t_durden | 2011-04-05 22:50 | 制作意図 : Concept | Trackback | Comments(2)

器気

形 ( なり )
釉調
雰囲気
どれを以て良しとするのか。という考え方は間違っている。
全てはひとつであるから。


作り手は、物を作り…何を示すのか。


こうしたいという業
こう在りたいという欲
こう見られたいというエゴイズム

そのどれもが混在したものが…私の作る物である。
だが…
そうであってはならない。


私が今まで、直に目にし
思わず…すげぇ。と口にした物が3つある。

1つは…数年前にインテックスで見た
3代目 : 徳田 八十吉の耀彩壺
1つは…確か去年。堺で見た
堺の刀鍛冶 : 本城 永一郎の作った花器
1つは…先日の穴窯を焚いた時に見せてもらった
岸和田の陶芸家 : 小山 普の大壷

一目見た瞬間
頭の頂に雷が落ちた気がした。
沸々と肌が泡立ち
血が逆流する心持ちだった。

言葉に還元するのは難しく
ただ、
すげぇ…としか言えなかったのを覚えている。


そのどれもに共通している事は
俺が作った物だ。
という驕りが微塵も無く
物が物として自立し
確かな器気が感じられた。

とんでもない物を目の当たりにし、
見てはいけない物を見てしまったような
少し寒気がするくらい…呑み込まれてしまうような気さえした。

人の手から生まれた物でありながら
こんな物が人の手で生み出せるのか。という矛盾さえ感じ
心は欺瞞で満ち満ちた。


そういった物を見て、肌で理解したのは
”一体感”

形がどうである
色味がどうである
そういった事を超越したところに…それらは在り
完成された物として
だがしかし
ただの物体としての領域を逸脱せず…
何かを妖しく放っていた。
先日の個展で、昼馬さんが買って下さった蓋物。

調合した釉薬を試しただけの物で
結果的に言えば…微調整が足りず、縮れてしまったところがある。
今 作っている物のように
彫りにも手間をさほどかけず
大きさも…両の手に収まるほどの物である。

ただ、影を強調したくて試した釉薬で
上げ底ならぬ上げ蓋を試した形で
合わせの部分に、一筋の影をはっきりと出せた事は…私にとって成功と言える物だった。


昼馬さんは私の個展を見て
「だんだんと自信が感じられてきた。
貴方なりの”良さ”に非常に好感が持てる個展だった」
と評して下さった。

実にありがたい言葉であると同時に
私という”自我”をいかに殺す事が出来るだろうか。と考えた。

一体感があれば…物は凛として自立し
作り手から遠く離れるものである。と
今、私はそう感じている。

もはや
誰が作ったのか。という事すら何の意味を持たない次元がある気がするのである。


この形
この色味を見れば
ああ。
あの人が作ったのだろう。とすぐにわかる
”作風”と呼称される…ひとつの価値がある。

それはとても大事な事で
いわゆる”作風”という価値を認めてくれる方々が居れば
作った物が売れ、金銭を手にし
また材料を買う事が出来、飯が食える。
そしてその作家は生きる事が叶い
物を作り続ける事が出来る。


そういった意味では、個人作家にとって
最も大切なファクタだと言えるのだが
そこに無理な決め付けがあっては枷になるし
世界は拡がらない。

”作風”という価値が…今、私が望む最上のものであり
必要不可欠だと感じているが
それに囚われてしまっては
彼らのような…器気を放つ物を作るに至らない気もする。


そんな事は…そうなれた時に考えれば良い。
今は…食うが為のみを考えれば良い。
そう思うと同時に
はて?
これは…俺が作った物なのか…?
と思えるような器気を放つ物を
死ぬまでには
たったひとつでも
作ってみたい。と
そういう想いがあれば叶わない気もしながら…
心の片隅には置いておかなければならない。という
強迫観念にも似た想いを抱き。

言葉遊びを超えたところに在るものの片鱗を…肌で感じた者として
上へ上へと
作った物が昇華していけば良い。


私という作り手が存在しなければ
この世に生まれ得ぬ物が確かに在るが
私はただの”手”であり
”物”さえ自立すれば…それが最上である。と
それが作り手の一分であり
恐らくは…死ぬまで捨てきれぬ業になると
そう感じている

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by t_durden | 2010-12-14 21:48 | 制作意図 : Concept | Trackback

先日出会った人から、ある事を学んだ。

その方は苔玉を作る。
苔玉というのはこのようなもので、管理し易い為
ちょっとした緑のインテリアとして、その人気は高い。

苔玉を作る際に用いる苔はの採取はもちろん、そこに挿し木する植物をも自ら栽培している。
どうやらその方が声を大にして言いたい事は
苔玉は容易く枯れるような事は無い。という事であるらしい。


苔玉に挿し木した植物が、すぐに枯れてしまって困る。
という相談をよく受けるそうで、その度にこう助言するそうだ。

苔玉は人気が高く、作り方も難しくないので
苔玉を作って販売している人は多い。
しかし、苔玉に挿し木する植物を自分で育てている人は少ない。
その大半が、ホームセンターや植物園で購入してきたものを挿し木として使う。
そこで問題になるのが、挿し木する植物のポットの大きさである。


苔玉の一般的な大きさは、両手でちょうど覆い隠せるくらいのもので
購入してきた植物を挿し木に使おうとすると、ポットが大き過ぎて
植物に付着している土の大半を落とさなくてはならなくなる。

これが、挿し木した植物の枯れ易さに繋がるようだ。

ポットの中の土の量は、いわばその植物が育ってきた世界そのもの。
つまりは、
その世界に適した大きさ以上にもならないし、それ以下にもならない。
苔玉に挿し木する時に、その世界をそのまま移してやると
苔玉の芯になる土の量がある為
その土の量は増えはするが、減る事はない。
世界が大きくはなろうが、小さくはならないのだ。


苔玉に挿したいが為に
今まで育ってきた世界を小さく削り、挿すというのは
植物にとっては全くもって理にかなっていない。

だから私は、苔玉に挿し木する用の
その世界をそのまま挿せる
少ない土の量。つまり小さな世界で植物を育てる事から始める。


なるほど理にかなっている。

その方が育てている植物は非常に少ない土の量で
直径2cm 高さ3cmほどのものであった。


この苔玉にこの植物を挿したいという欲求があるならば
それ相応の苔玉、あるいは植物を用意する必要があるという事。
いや…
そのどちらをも満たすのがベストだと言える。

どうしてもこの植物を挿したいのであれば
苔玉の大きさはそれに準じ
苔玉の大きさを基準とするならば
挿す植物に工夫を施す。

一方を満たすが為に、一方がおざなりになってしまってはならない。


植物に暗いので、この工夫が本当に苔玉の枯れ易さに深く関わっているかは私にはわからない。

しかしこの姿勢は、ものづくりに欠かせない発想だと評価できるし
産まれた時の肌の色がわからないほど日焼けで浅黒くなった肌と、
爪の間に黒く入り込んでこびりついた土。
皮の厚くなった指先。
その指で植物を撫でるように触れるやわらかな仕草。
ただの通りすがりの私に、事細かに説明してくれる姿。

何より

植物は挿せば増える。
勝手に増える。
少しの手間と長い時間はかかるが、どんどん増える。
コレも去年挿し木したやつが勝手にこんなけ増えたんやで。と
植物の事を語るその方の屈託のない笑顔が
伝わってくる植物への愛情が…疑う余地を与えなかった。


剣の道の遠山の目付け。

相手の持つ刀の切っ先を見るのでなく
肩の強張りを見るのではなく
上腕の緊張を見るのではなく
足の運びを見るのではなく

…遠くの大きな山を眺めるよう
ぼんやりと全体を見る。
どうやらそれが”見る”という事のようだ。と学んだ。

苔玉を作る時でもそれは同じ。
理にかなった事はどの世界でも通ずるようだ。
さすれば当然。
陶の道にもそれは通ずる。

…しかし
陶芸とは…
全体をぼんやりと見るとて。
どこが端で…それに相対する端はどこなのか。
どこまで深く…どこまで高みがあるのか。
いやはや…全体像すらうまく掴めない。

ただ、自分が作ったものをぼんやりと眺め
その時の自分が納得できれば
用いる土や
釉や
道具や
手法は違えど

きっとどこまでも自由なんだろうと
そう思えるに違いない

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by t_durden | 2010-09-21 22:14 | 制作意図 : Concept | Trackback | Comments(0)

継ぐ

音楽の好きな人にとってのマイケル・ジャクソンの死のように
三代目:徳田 八十吉の死は
私にとって…
記憶しておかなければならないという
義務感の伴うような、決定的な別れであり
それでいて…心の一部を独占されたような
そんな想いにさせられた出来事であった。

会った事も無い人にこういった感情を持つのは奇妙な事のように感じるが
きっと一目惚れなんだろうと思う。
その大半は勝手な想像であるが、
その人は存在するし、その人が作り手であるが故
遺された物が存在する。
それが、そう言える理由である。

どうもこんばんは。motomanです。

思えば随分長い間生きてきた。
意味のある人生かどうかはここでは触れないが。
意味の感じられる出会いはいくつかあり、
お洒落な店でのディナーで流れる生演奏にように
心にねっとりと絡みつくような
忘れられない出来事もいくつかある。

数年前に遡るが、
ふと”人間国宝”というものが気になり、調べた事がある。
陶芸部門で31名。
その作風から色々な称号が与えられ、作り手が死して尚
色々な人を刺激している。

その中で私の目を奪ったのは
三代目:徳田 八十吉 と
井上 萬二 である。

三代目:徳田 八十吉の作品を初めて見た時、まさに衝撃を受けた気がした。
人の手はここまでやれるのか…と、目を奪われながら
ある種の絶望を感じたようにも思う。
そう。
狂喜と絶望と可能性を同時に感じた瞬間だった。
その3代目が世を去り
その名は4代目へと継がれた。
継ぐべきものがあり
継ぐ者が居るという事は
どういった気分だったろう。
大いに満足し、小躍りしながら三途を渡ったろうか。
あるいはそうかもしれないが
私は、そう想像しない。

もっともっと作りたい物があったはずだ。
なぜなら
彼は作り手であり、研究者であるから。
そういった特質を持った者に
終わりは無いはずであるから。

そう信じたいわけではない。
そういうものなのだ

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by t_durden | 2010-06-30 17:07 | 制作意図 : Concept | Trackback | Comments(0)